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<監修>
独立行政法人国立病院機構名古屋医療センター 院長 堀田 知光
順天堂大学医学部血液内科 教授 押味 和夫
<編集>
東京医科大学内科学第一講座(血液内科)教授 大屋敷 一馬
自治医科大学内科学講座血液学部門 教授 小澤 敬也
旭川医科大学内科学講座消化器・血液腫瘍制御内科学分野 教授 高後 裕
金沢大学大学院医学系研究科細胞移植学(血液呼吸器内科)教授 中尾 眞二
豊國伸哉
京都大学大学院医学研究科基礎病態学講座病態生物医学
鉄は哺乳類個体において最も多く含まれる重金属である.鉄を主成分とする隕石が多数発見されることから宇宙には鉄が豊富にあると考えられているが,私たちは進化の過程で酸素の運搬体として鉄を選択した.鉄は,不足すると貧血や筋肉の障害を引き起こすが,逆に過剰は種々の実質臓器に傷害を与えるだけではなく発癌のリスクとなることがわかってきている.たとえば,鉄吸収が増加する遺伝性疾患であるヘモクロマトーシスでは肝癌の発生リスクが著しく増加する.また,昨今社会的な問題となっているアスベストによる中皮腫も,鉄含有量の高いアスベストほど発癌性の高いことが明らかにされている.なぜ鉄が発癌と関連するかに関しては以下の2つの要素が考えられる.1つは鉄が遷移金属であり,酸化還元反応の触媒として働き,酸化ストレスを引き起こすこと,もう1つは鉄が多数の蛋白質の活性部位に含まれており,必須栄養素の1つであるという側面である.特に,酸化ストレスの発癌機構への関与に関しては最近多くの新事実がわかってきている.
鉄は周期表dブロックの1列目に位置する遷移金属(transition metal)の1つである.18世紀までには血液に鉄が存在することが知られていたが,紀元前の中国やヨーロッパにおいてすでに鉄剤が薬として使用されていたといわれている.哺乳類においては,鉄は酸素運搬のためのヘモグロビンの構成成分であり,カタラーゼやチトクロームなどの酵素の補因子としてなくてはならないものである.一方,最近,鉄過剰は発癌のリスクとなるという報告が相次ぐようになっている.本稿においては,鉄と発癌に関して,歴史的な側面を考慮にいれながら概説し,そのメカニズムに関する最近の考え方について解説していきたい.
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鉄が生命の起源に必須であったという説がある.これはノーベル賞を受賞したChristian de Duveによる仮説であるが,この際二価の鉄が紫外線のエネルギーによって三価に酸化されることが重要で,この反応と共役して二酸化炭素やほかの分子が還元され生命に必要な分子が生成されていったと考えられている1).この仮説からもわかるように,鉄の最も重要な性質は価数を変えることができるということである.
鉄は私たちの体のなかで最も多い遷移金属であり,体重60kgのヒトに約4g存在するとされる.そのうち,6割は酸素を運搬しているヘモグロビンに存在している.変温動物においては,酸素の運搬に銅がヘモシアニンとして使用されている種も多い.体温37℃においては,鉄より銅イオンのほうが圧倒的に毒性が強いことは,進化を考えるにあたり興味深い.そうはいっても,鉄もイオンとして単独で存在すると毒性は高いのである.しかしながら,中性においては,鉄イオンは二価であっても三価であっても溶解性はきわめて低く(Fe3+は10-17M),生体内では常時,ほかの分子と結合あるいはキレートしたかたちで存在すると考えられている.このようなキレートとしては,ADP,ATP,GTP,クエン酸などの低分子が想定されているが,細胞内の鉄の分布に関しては測定法が確立されておらず,意外とわかっていないことが多い.細胞外の分子としては,トランスフェリンが最も鉄イオンと親和性が高い.また,重要なことは,通常においては細胞内にフェリチンという鉄貯蔵蛋白が存在し,鉄を蛋白内に包み込み安全な状態で格納しているという事実である.
さて,もし鉄イオンが細胞内や周囲で生じた場合は何が起こるのであろうか? この場合,以下のフェントン反応が起こると考えられている.フェントン反応とは,1894年にイギリスの化学者Fentonが,二価の鉄と過酸化水素を反応させるとヒドロキシラジカル(・OH)が発生し,酒石酸がジヒドロキシマレイン酸に変わることを示したものである(図1)2).実際,・OHが認識されたのは,このあと40年程度経ってからのことである.この反応からもわかるように,フリーラジカルは,修飾(付加)・切断・重合反応を起こす能力がある.ここで,鉄を介した酸化還元反応をもう少し大きな枠組みで考えてみよう.
図1 1894年にFentonにより発表された反応

ヒドロキシラジカルにより,酒石酸がジヒドロキシマレイン酸になる.
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レドックスとは,reduction(還元)とoxidation(酸化)を重ね合わせた造語であり,酸化還元の繰り返しを意味する.酸化還元反応は,呼吸・代謝・吸収・解毒・生殖など,およそ考えられる生命体のすべての機能において重要な役割を果たしており,主には,酵素を媒介として反応は進行する.しかし,鉄を介した同様の反応は非酵素的にも進行することが容易に予想できる.この反応の中途で発生する反応性の高い分子が活性酸素・フリーラジカルである.最近,活性酸素・フリーラジカルの発生が,発癌・動脈硬化症・糖尿病などのいわゆる「生活習慣病」の本質部分にかかわっていることが明らかになってきた.活性酸素とフリーラジカルはしばしば同じ意味に使用されているが,厳密には異なるものを指し示す.フリーラジカルは「不対電子を1つ以上有する化学種」と明快に定義されるのに対し,活性酸素は,・OH,スーパーオキシド(O2-)といった純粋な意味でのフリーラジカルのほか,酸素原子を含む化学種のうち,過酸化水素(H2O2), 一重項酸素(1O2)など,フリーラジカルではないものの,ある条件の下では反応性がフリーラジカルと同様に高い化学種を包含する概念といえる3).一方,酸化ストレスとは,柔軟な適応能力を有する細胞や個体に関するコンセプトであり,「活性酸素・フリーラジカルの負荷から,抗酸化分子・抗酸化酵素・修復酵素などによる防御・消去・修復作用を差し引いたもの」を意味する4).
酸化ストレスを引き起こす病態は,放射線・紫外線への曝露,本稿で扱う鉄・銅など遷移金属の過剰状態,ウイルス感染,あらゆる慢性炎症,ある種の抗癌剤投与(ブレオマイシン,アドリアマイシン),臓器移植や梗塞などに伴う虚血再灌流傷害など実に多岐に渡っている.ここで興味深いのは,虚血再灌流傷害以外のすべての病態において,癌化との関連が疫学的に指摘されているという事実であろう5,6).すなわち,放射線被爆による白血病(広島・長崎の被爆者)7),紫外線によるひどい日焼け後発生する皮膚癌8),鉄過剰蓄積による肝細胞癌(遺伝性ヘモクロマトーシス)9),アスベスト曝露による中皮腫あるいは肺癌の発生(crocidolite,amositeなどある種のアスベスト線維の鉄含量は質量にして約30%と高い)10),B型・C型ウイルス性慢性肝炎後の肝硬変に伴う肝細胞癌(肝細胞癌発生予防のための瀉血療法が最近注目されている),結核性胸膜炎・膿胸に伴う悪性リンパ腫11),化学療法後の二次発癌などである.これらの事実は,酸化ストレスと癌化とを結びつけるヒトに関する重要な証拠であると考えられる.再灌流傷害で癌化との関連の報告がないのは,急性循環障害であるため,多くの場合,患者の余命のほうが発癌に要する時間より短いためであると理解されている.
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ここで鉄と発癌の関係の報告に関して補足したい.基本的にはデータは3種類に分類できる.1つは前記の特定の疾患や曝露との関係が深いヒトのデータであり,これまでの主な報告を表1に要約した.これには今後報告が増えるであろうと考えられるものも含めておいた.卵巣の子宮内膜症と卵巣癌(特に明細胞癌)の関係に関しては現在研究が進行しているところであり,注目に値する12).2つ目は,鉄貯蔵状態全般と発癌に関するヒトの疫学データである.これに関しては,すでに10程度の報告があるが,いずれも鉄貯蔵量が多ければ将来の癌死亡リスクが高くなるというものである13).2004年に発表された米国の成果によっても,血清鉄濃度および血清トランスフェリン飽和度が最も高い25%区分にあたると,癌死亡の相対リスクはそれぞれ1.86ならびに1.82となっている14).そして最後は,動物に鉄化合物を投与した際の発癌性に関するデータである.表2に要約した.調べた限りにおいて鉄の発癌実験として最も古いものは1940年になる.これはマウスを酸化鉄の粉塵に曝露すると肺腫瘍ができるという報告である15).1959年にはデキストラン鉄を筋注するとその部位に肉腫ができるという報告がなされた16).これらはいずれも鉄投与の局所で腫瘍が発生したものであった.投与と異なる部位に腫瘍を作製したのは,私たちの教室の岡田・翠川が行った報告が初めてである17).これは,腹腔内に鉄キレート剤である鉄ニトリロ三酢酸を投与して腎臓癌ができるモデルであった.後に腎臓の近位尿細管特異的にフェントン反応が起こっていることが示された.
さて,ここで1つ疑問を提出したい.酸化ストレスといえば,これまでにあげたような特殊な病的状況のみを考えていたらよいのであろうか? この疑問に対しては,変異原検出法として汎用されるエームス試験を考案したAmes博士らによる報告が示唆に富む.ラットとヒトの発癌リスクの年齢分布を調査したところ,双方ともに年齢の5乗に比例して発癌リスクが増加するという18).しかも,動物の寿命の長さは,体重あたりの酸素消費量と負の相関を示す19).このことは,私たちが酸素を利用する際に発生する内因性の酸化ストレスでさえ,寿命が長いヒトの発癌要因になっている可能性があることを示唆している.そう考えると,鉄の含量がわずかに増えただけで触媒鉄も増加し,内因性の酸化ストレスも増えるであろうことは想像に難くない.私たちの体内のすべての細胞内に1,000個程度存在するミトコンドリアは,エネルギー変換効率の大変優れたエネルギー産生小器官である.しかしながら,利用される酸素のうち2~3%程度は,常時,活性酸素として周囲へ漏れ出し,ゲノムDNA・膜脂質・蛋白質などの生体分子に傷害を与えているのである.過剰鉄はこの反応を増幅するであろう.最近,mitoferrinと呼ばれるミトコンドリア特異的鉄蛋白も報告されている.
| 遺伝性ヘモクロマトーシスによる肝癌 B型・C型ウイルス性肝炎による肝癌 アスベスト曝露による中皮腫・肺癌(特に,クロシドライト・アモサイト) 卵巣の子宮内膜症と卵巣癌 |
| 鉄化合物 | 動物種 | 腫瘍 | 年 |
|---|---|---|---|
| 酸化鉄を吸入 | マウス | 肺腺癌・線維肉腫 | 1940 |
| デキストラン鉄を筋注 | ラット | 紡錘形肉腫 | 1959 |
| 鉄ニトリロ三酢酸を腹腔内注射 | ラット | 腎細胞癌 | 1982 |
| 鉄ニトリロ三酢酸を腹腔内注射 | マウス | 腎細胞癌 | 1987 |
| 鉄サッカレートを腹腔内注射 | ラット | 腹膜中皮腫 | 1989 |
| 鉄エチレンジアミン二酢酸 | ラット | 腎細胞癌 | 1994 |
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酸化ストレスの生物学的意義に関しては,「軽度の酸化ストレスは細胞傷害を起こすのではなく,むしろ細胞増殖を促進する」という新たなコンセプトが1990年代に確立された.これは,培養細胞に薬剤により酸化ストレスを加えていくと,その程度が強くなるにつれて,細胞増殖・アポトーシス・壊死という異なる現象が観察されることに基づいている20).このコンセプト(図2)を基本として,私たちは癌化過程における酸化ストレスの意義について,次のように理解を図っている4).発癌に関しては,マウス皮膚癌モデルで確立された「2段階説」が概念としてわかりやすい.2段階とは,ゲノムDNAに何らかの不可逆的な傷の入った細胞ができる「イニシエーション」の段階,それに引き続いて起こる傷の入った1つの細胞がクローナルに無限に増殖する「プロモーション」の段階である.これを酸化ストレス発癌にあてはめてみると,高度の酸化ストレスによるゲノムDNAの不可逆的な損傷に基づく種々の遺伝情報の変化がイニシエーション,そしてそれに引き続いていくところの,持続的酸化ストレス状況下において耐性を有する細胞だけが選択的に増殖していく過程をプロモーションであると考えることができるであろう(図2).現在では,これらの変化が1つの細胞に蓄積していく過程を,階段を上っていくのに喩える「多段階発癌」という言葉が最も受け入れられている.発癌の機序に関する研究は,この20年間で長足の進歩を遂げている.特に,白血病の研究がその口火となったことは周知の事実である.「癌はゲノム情報の異常に起因する」というコンセプトが確立されたが,これは「癌遺伝子」ならびに「癌抑制遺伝子」という概念の確立による21).実際の発癌においては,種々の機構により,複数の癌遺伝子が活性化され,複数の癌抑制遺伝子が不活化されていることが予想される.
図2 酸化ストレスの癌化過程における生物学的意義に関する概念図

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鉄を介した酸化ストレスによって,細胞が正常から逸脱していく様子をつぶさに観察することによって,酸化ストレスに対する生来の防御機構を初めて認識することができる.私たちは,鉄キレート剤である鉄ニトリロ三酢酸(Fe‐NTA)投与によるラットあるいはマウスの腎発癌モデル(図3)を,酸化ストレスによる発癌モデルとして位置づけ,その発生機構を解明してきた.このモデルの特徴は,(1)腫瘍がヒト腎癌と同じく腎尿細管上皮由来である(癌取り扱い規約分類では顆粒細胞癌に相当するものが多い),(2)約半数の例で転移や浸潤を起こす,(3)鉄を介した酸化ストレスをフリーラジカル反応により特異的に生成する種々の修飾分子の増加によって実証できるという3点である.(3)に関しては,4‐hydroxy‐2‐nonenal(HNE)のような脂質過酸化産物22)や8‐hydroxy‐2'‐deoxyguanosine(8‐OHdG)のようなゲノムDNAの修飾塩基23)が,発癌実験の初期に腎近位尿細管において増加しているということを意味する.さらに,これらの酸化ストレスによって生成する産物を網羅的に調べたときのスペクトラムは,この傷害が主にフェントン反応を介した・OHによることを示唆している.これらの酸化的修飾によって生成する8‐OHdGやHNEなどの分子は,現在,酸化ストレスマーカーとして汎用されているものである4,24).Fe‐NTAによる発癌モデルは酸化ストレスマーカーの実証に大いに貢献したのである.
図3 鉄ニトリロ三酢酸投与により誘発されたラット腎発癌

向かって左側が頭側,中央下の白色腫瘤が腎癌である.このラットでは精巣の周囲に中皮腫も認められる.
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γ線のような放射線によっても発生する・OHは反応性がきわめて高く,そのため近傍のどんな分子とも反応するのが特徴とされてきた.では,・OHはゲノムDNAと反応する場合,ランダムに傷害を起こすのであろうか? そして,その結果たくさんある癌遺伝子や癌抑制遺伝子がランダムに傷害されていくのであろうか? 私たちは,このような考え方に疑問をもった.そして,このモデルにおいて特異的に標的となる遺伝子は存在するのであろうか,あるとすればそれはどのような遺伝子であるのかについて系統的な検討を行った.
動物を使用する実験の長所は,遺伝情報の画一化された動物(近交系動物)を使用できること,ならびに培養細胞とは異なる生体という安定した複合系のなかでデータをとることができるという点にある.このような動物においては,性染色体以外は雄も雌も全く同じゲノム情報を有している.同種の2つの異なる近交系系統の動物をかけ合わせてできた子供をF1世代と呼んでいる.このF1ハイブリッド動物を使用して,遺伝学的解析を行うことができる.現在,ヒトのみならずマウス・ラットなどの主要な種において,そのゲノムの全貌が明らかとなってきた.その最新の情報を誰もがウェブでみることのできる時代となっている.ゲノム全体の解析はまだまだ完了したとは言い難い状態であるが,蛋白が最終産物である遺伝子のうち,エクソン部分はわずかに全体の3%程度,イントロンなどを含めた遺伝子領域も40~60%程度とされている.どうしてこのように幅が広いかというと,ゲノム情報のほとんどすべてがわかっても,2~3万個ともいわれる遺伝子については,わずかなものについてしか解析が終わっていないからである.特に,エクソンがその両端に新たにみつかる遺伝子は多く,解析が進むにつれてゲノムの遺伝子相当部分が増えているようである.遺伝子外部分の多くは,何らかの反復配列であると考えられている.このような配列は,推測ではあるが,進化の過程で遺伝子を増やしたり組み換えたりするのに使われてきたのであろう.今回の遺伝解析で使用したのはこの反復配列部分である.なかでも,マイクロサテライトと呼ばれる配列は,2~4塩基の単純な繰り返し配列でPCRにより全長を容易に増幅できる程度の塩基長であり,同種の異系統間で反復数が異なるものが多いという特徴がみられる.現在,ラットでは3,000超のマイクロサテライトが報告されており,インターネット上のデータベースを使用して,実験に有用なマイクロサテライトを容易に選択できるようになっている(http://rgd.mcw.edu/GENOMESCANNER/).
F1ラットを使用して腎癌を作製し,すべての染色体について適切なマイクロサテライトによりゲノムスキャンすると,染色体5番と8番において,数個の連続したマイクロサテライト領域にまたがって産物が1種類しか認められないアレル損失(LOHとも呼ばれる)が認められた.癌抑制遺伝子においては,両方のアレルが不活性化されて,初めてある形質の変化が出現するが(常染色体劣性形質に同じ),一般にアレル損失が起こるとその遺伝子の残ったアレルにさらに点突然変異や欠損が起こりやすくなるとされているため(修復が困難であるため),これは癌抑制遺伝子をスクリーニングする手段の1つと考えられている.この方法によって,鉄ニトリロ三酢酸による腎発癌の主要な標的遺伝子の1つがp15INK4B/p16INK4A癌抑制遺伝子であることが判明した.さらに,この標的遺伝子に起こる変異の多くは点突然変異ではなく欠損であり,5'プロモーター領域のメチル化も高率に観察された.結論として,調べた39例の腫瘍のうち半数近くでこの遺伝子の不活性化が認められたのである25).p16はp53の次に高頻度にヒトの癌で変異が認められる代表的癌抑制遺伝子である.現在の私たちの大胆な仮説は,「p16の欠損変異あるいはメチル化は酸化ストレスによってもたらされる」ということである.
活性酸素の反応は,免疫反応と異なり特異性を欠くため,相手を選ぶことなく近傍のどんな分子とも反応するのが特徴とされてきた.したがって,酸化ストレスによる発癌の際にも,種々の遺伝子が均等に傷害を受けるだろうとの予測がなされていたが,私たちのデータは思いがけずこの仮説に相反するものとなった.これはすなわち,生体内における活性酸素の反応は単純な試験内反応と違って,規則性のうかがわれる結果をもたらすことがあるということを意味している.その後,ラット腎臓の捺印細胞診を利用したin situ hybridizationによってさらに検討を重ねた所,最初のアレル損失は,実験開始後3週間程度のきわめて早期に,p16癌抑制遺伝子の遺伝子座に特異的に起こっていることが判明した26).現在,このような成果は,1つのsurrogate
markerとして癌予防の領域へも応用されつつある27).
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発癌過程に伴って発現の変化する遺伝子を選択してくる方法は多いが,ここでは,differential display法を使用して得られたアネキシン2について紹介したい.アネキシン2は,正常近位尿細管にはほとんど発現が認められないが,酸化ストレスによる尿細管傷害時に,再生尿細管細胞に発現することが判明した.また,腫瘍においては,非常に高い発現を認めた.さらに,腫瘍の原発巣と肺転移の有無を検討したところ,原発巣でアネキシン2の発現の高い腫瘍では肺転移を起こす可能性が高いという結果が得られた.次に,培養細胞を使用して検討すると,過酸化水素による酸化ストレスでアネキシン2は誘導され,この誘導はN‐アセチルシステインなどの抗酸化薬を前投与しておくと抑制されることがわかり,レドックス制御を受けていることが証明された28).ここでレドックス制御の意味を説明しておく.これは,転写因子などの蛋白質において,なかに含まれるシステイン残基の可逆的変化に基づく制御である.三次元的に近傍に位置する2つのシステイン残基は,酸化状態が強くなると,ジスルフィド結合(‐S‐S‐)をとるようになり,還元状態になると2つのスルフヒドリル基(‐SH)へ戻る.この可逆的な変化は,蛋白質のコンフォメーションを変える能力を有し,ほかの蛋白質との結合・解離を制御していることがよくある.転写因子のNrf2などもその典型的な例にあたる29).
最近,アネキシン2は細胞膜表面において,tissue‐plasminogen activatorやplasminogen自体の受容体であるという報告がなされた.腎癌の肺転移過程においては,腎血管内への浸潤,腫瘍細胞が血管内において足場なく遊離の状態で生存すること,肺に行き着くとさらに血管外へ浸潤し,肺という全く異なる高酸素環境下で増殖するといった一連のプロセスが必要となる.アネキシン2は,細胞表面で線溶系を亢進させることによって,腫瘍細胞の血管内での生存に貢献している可能性がある.正常細胞としては,アネキシン2は血管内皮細胞で高発現である.腫瘍の内皮化が転移に貢献しているという考え方が成り立つかもしれない28).
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私たちの体のすべての細胞の内部は穏やかな還元状態にあるが,これはグルタチオン,チオレドキシンという2つの分子を中心に構成される酵素系により,精緻に維持されている.このうち,グルタチオンはγ‐Glu‐Cys‐Glyというトリペプチド,チオレドキシンは分子量が約14kDaの蛋白質であり,ともにレドックス制御にかかわるシステイン残基を有する.グルタチオンは分子量が小さいため細胞内を核内も含めてどこへでも行くことができる.チオレドキシンの場合は通常では,細胞質に存在することが知られている.さて,この酸化ストレス発癌のモデルで,チオレドキシン系の発現はどう変化しているのであろうか? チオレドキシン自身の発現は,軽度の酸化ストレスでは増加し,核への移行が認められる30).しかしながら,高度の酸化ストレスでは,逆に,蛋白の減少が認められる.チオレドキシンは,また,細胞の再生時や悪性度の高い腫瘍で高発現となるのが特徴である.1999年に,このチオレドキシンと結合し,拮抗する蛋白として,thioredoxin
binding protein‐2(TBP‐2,vitamin D3 up‐regulated protein‐1)がyeast
two‐hybrid systemを利用してクローニングされている31).
私たちは,上記発癌モデルにおいて,TBP‐2の発現がどのように変化するのかを検討した32).TBP‐2は検索したラットの正常臓器のなかでは,腎臓において最も多い蛋白量を認めた.鉄ニトリロ三酢酸を投与した急性期,反復投与後の慢性期のいずれにおいても有意な蛋白量の減少を認めた.そして,ほぼすべての腫瘍において,TBP‐2蛋白は消失した.TBP‐2のメッセージを解析すると,急性期や慢性期ではメッセージはかえって増加していたが,腫瘍においては顕著に減少していた.腫瘍について,プロモーター領域のメチル化を検討すると,検討した全例のサンプルでCpG
island領域のメチル化を認めた.これは,TBP‐2のプロモーター領域のメチル化によって,メッセージへの転写が著明に低下したことを意味する.さらに,TBP‐2蛋白量と細胞増殖との関係をproliferating
cell nuclear antigenを免疫染色することにより検討した.すると,TBP‐2蛋白量と細胞増殖とは,負の比例関係にあることが判明した32).最近,自然発症から単離されてきた高脂血症マウスを遺伝学的に解析すると,責任遺伝子がこのTBP‐2のnull
mutantであったことが報告された33).これはすなわち,チオレドキシン系が,糖や脂質の代謝に密接に関連していることを意味している.最近,TBP‐2蛋白が消失することにより,チオレドキシンの活性が相対的に上昇すると,解糖系酵素が誘導されることが判明している34).固形腫瘍は,大きくなるに従い,中心部が低酸素状態になり,ATPの調達先としてより解糖系に依存するとされる.TBP‐2が消失することが,腫瘍の増殖に有利に作用するという観点から,TBP‐2のプロモーター領域のメチル化機構が説明できるかもしれず,発癌過程として興味あるモデルを提供している.同様の結果はヒト成人性T細胞白血病由来の培養細胞においても認められており35),TBP‐2が癌抑制遺伝子のカテゴリーに分類されることが確立されたと考えられる.
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前述のように,鉄を介した酸化ストレスによるゲノムDNAへの傷害自体がランダムかどうかに関しては,大変興味あるところである.最近,私たちは特定の酸化的DNA修飾塩基を含むゲノムDNA断片のみを回収するDNA免疫沈降法を開発した36).これまでに8‐オキソグアニンとアクロレインアデニンと特異的に反応する単クローナル抗体を使用して,これらの塩基のゲノム内分布を評価するのに成功している.この方法を使用して,前述の鉄キレート剤による腎癌モデルの腎皮質部分を解析した.鉄ニトリロ三酢酸単回投与後6時間でDNA損傷が増加したが,8‐オキソグアニンとアクロレインアデニンの双方に関して,双方の修飾塩基を含む断片の分布がゲノム上でランダムではないことが判明した(図4).さらに,得られたクローンを染色体ごとに分類すると,有意に偏った分布をする染色体がいくつか得られた.特に,8‐オキソグアニンは正常のマウス16番染色体に相対的に多く,アクロレインアデニンは酸化ストレスがかかったときに15番に相対的に多かった.私たちは,このような事実を論理的に説明するには,染色体領域という考え方を取り入れる必要があると考えた.染色体は細胞の分裂期のみにおいて姿を現す.これに対し,「間期においてもある染色体に相当するゲノムは核のなかである程度かたまって存在し,核内の位置が中央に近いかあるいは核膜に近いかある程度決まっている」という仮説が染色体領域という考え方である37).このような考え方に則り,マウス腎臓近位尿細管の捺印細胞を使用して,染色体15番,16番の領域をそれぞれの染色体のペインティングプローブで検討した.すると,16番は核の中央に存在する確率が高く,15番は核膜に近いことが判明した.これは,酸化ストレス時にはアルデヒドであるアクロレインは核外から来ること,正常時には修復されにくい8‐オキソグアニンが酵素の届きにくい核中央部,おそらく遺伝子外領域に残っていることを意味すると推測され,実に興味深い.また,最近の成果としてアレイCGH解析で,鉄ニトリロ三酢酸による腎癌では染色体の大きな断片レベルでの腫瘍に共通したアレルの喪失や増幅があることが判明してきている.鉄にこそヒトの発癌機構を解く鍵が隠されている可能性がある.
図4 8‐オキソグアニンの染色体地図の一例

番号はマウスの染色体番号,緑がコントロール腎臓ゲノムDNAからとれたクローンの位置,赤が鉄ニトリロ三酢酸投与6時間後の腎臓ゲノムDNAからとれたクローンの位置である.
(文献36より引用)
鉄化合物による癌化機構を解析することにより,酸化ストレスの生物学的意義が明らかになってきた.高度の酸化ストレスは,ゲノム情報を改変する.これは一方で進化の原動力となっている可能性がある.比較的軽度の酸化ストレスは,システイン残基のスルフヒドリル基を介したレドックス制御機構により,転写因子に変化を及ぼし,ある種の遺伝子の発現を制御する.さらに,このレドックス制御機構も関連分子のオン・オフによって制御されているというネットワーク機構が判明しつつある.別項目に詳述されているように,最近,鉄の吸収や移動にかかわる新規の分子が多数明らかにされてきている.鉄は毒でもあるゆえに膜を自由には通過できないようになっている.これらの制御も鉄発癌にかかわっている可能性が大いにある.
References
第56回日本輸血・細胞治療学会総会 ランチョンセミナー
期日/2008年4月25日
会場/福岡国際会議場